2013/07/16

レーシック難民(レーシックを失敗したという人)について個人的に思うこと


レーシックを検討している期間は私の場合5年とやたら長かったので、色々とその気持ちを人に伝える機会も多かった。
最初の頃は、まだまだ手術をする人も少なくて流行り始めの頃だったので、話題に出しても周囲の反応は「?」という感じだったのだけど、ある時、手術を決心する1年程前についに「レーシック難民」という言葉に出会った。

このキーワードで検索すると、なんだか情報があまり整理されてなくて、とりあえず個人の体験談が色々と寄せ集めて全体として「レーシック難民」という言葉を作っているような印象。実際、レーシック難民という言葉、、元はネットカフェ難民、とか、何か行き場を無くした人を「難民」と呼ぶ流行から来ているのだろうけど、言葉としていまいち分かりにくいというのが個人的には気になったりして。。

レーシックの難民、ということではなくて、レーシックで難民、という意味なのだと思うし、具体的に何がどうなって難民なのかぱっと分かりにくいのだけど、まぁ難民という言葉はインパクトがあるので浸透したんだろうなーとは思う。

で、私が個人的にこのレーシック難民についてどう思っているかというと、、上に書いた流れとも繋がるけど、何か変なワードで諸々をまとめない方がいいのでは...?という気持ち。なんだかレーシックのネガキャンもぐいぐいネット上には現れていて、これはこれで何かしらの意図を感じるし、かたやレーシックをやっている眼科やクリニックは宣伝合戦で火花を散らしているし、実際のところ真実が非常に見えにくいような感じ。

結局私が1番参考にしたのは色々な人の体験談と、自分が本当に色々と検索して調べた内容だった。
そういうこともあって、私もついに手術した側の人間になった時に、自分が蓄えた知識から来る見解や体験談が誰か必要としている人に伝わるのであれば、それはとても意義深いことではないかと思って、ブログを書くことにしたのだけど。


でとりあえず、レーシックの失敗については、
まず手術と名の付くものに100%完璧な結果が得られるという保証は全くないということを私は思っていて、そのあたりを甘くみると、色々とギャップが出て来るのかもしれないと思っている。

また、お金儲けとしての要素がバリバリに感じるところは、レーシックを受けようとしている個人の細かい状況まで対処することより、とにかく数!となるのは自然な流れなので、その見極めが大事なんじゃないのかな〜ということは思う。アフターケアというか、今後も生きて行く上で眼科にかかることはあるだろうし、そういった流れも含めて、レーシック手術を切り離さずに目の健康と向き合えるようなところと出会えるのが、1番いいんじゃないかなと思う。

他には、レーシックって魔法の様なものでもあると自分で受けて感じるけど、実際は医療行為だし、医療行為の現代の限界を勘違いしてはいかんのだろうなと思う。


諸々そのあたりの不安をきっちり解消出来ることが、何よりも大事だとは思うので、そういった意味では、ある程度「レーシック失敗」とか「レーシック難民」とかで出て来るブログを読んでみるのも勉強になると思う。勿論過度に恐怖を煽ってるサイトもあって、それはそれでどうかとは思う次第なのですが(^^;)