2013/07/30

レーシックとメガネと「眼鏡のとよふく」

先日「眼鏡のとよふく」という千葉にある眼鏡屋さんの存在をネットで偶然知った。
何やら魔法の眼鏡屋さん?という感じで、口コミブログもネット上にいっぱい上がっていた。その内容たるやなんとも素晴らしいものだった。

そして....レーシックが完全に駄目な扱いになっていたので壮大に落ち込み!!!
あまりにも落ち込んだので、真面目にその想いや感じたことをメモしておきます。

(「眼鏡のとよふく」で検索すると色々な体験談がヒットします)


体験談などを読みあさった結果、なんとなく分かったのは、本当に素晴らしい眼鏡屋さんぽいということでした(「ぽい」というのは自分が経験したわけではないので、あくまでも印象)。自分も行ってみたかったと思った。近視のままだったなら。。

ただまぁ私がレーシックに出した金額と同じくらいの貯金は必要そうですが。



そう、私はレーシックもといPRKをつい一ヶ月前にもうやらかした身、元には戻れないのである。
更にそれで残念だったね終わり、じゃなくて、なんだかついでにレーシックのことも非常に厳しく批判的に書かれている部分がいくつも見つかって、自分は激しく落ち込むことになったのであった。

具体的には、うろ覚えで書くと、レーシックやると廃人だとか、目に悪いとか、とにかくもうレーシックやったら終わりって感じだった。俺の人生、終わったのか....みたいな、俺は愚か者の選択をしたのかああああとなった。

眼鏡のとよふくさんで作った眼鏡の感想は皆様とても生き生きしていて、試しに眼鏡をかけた時にあまりの素晴らしい見え方に泣く人まで居る様子。どうも3Dに見えるそうで。それは子供の頃見ていた世界の見え方だそうで。見えるだけで感動だそうで。それはそれまでの眼鏡やコンタクトとは全く違うそうで。

素晴らしいじゃないですかあああ!そんな眼鏡体験してみたいじゃないですか!!
でも完全に自分は愚か者扱いのフィールドに居るわけなんですよね。凹。



元々、目の健康を考えた時に1番いいのは眼鏡だという自分なりの結論はあった。でもその眼鏡が自分には合わないと思っていて、その理由は頭痛がするというのも結構大きかった。(他にも、何度も踏みつぶしてしまうとか、すぐ無くすとか(家の中でも常に眼鏡メガネ〜ってなる)、すぐ汚れるのが嫌とか、まぁ色々あったけど。)

でも眼鏡のとよふくの関連記事を読んでいると、どうやら頭痛とかいうのは、眼鏡屋さんの問題だったんじゃないかと思えた。フレームのフィッティングもそうだし、勿論レンズも。度数がバシっと強くて1.5見えればいいとかいう合わせ方って普通一般的なんだけど、眼鏡のとよふくさんは全然違うようだった。

しかも「近視になるには理由がある」とかいって、その自分のありのままの状態の目(視力)を肯定してくれるような、そのような雰囲気を調べていて感じた。

私は、近視になってから、そんな自分がずっと辛かったから、その自分でもいいんだよって言ってもらえただけでもどれだけか救われたことだろうかと思った。
それだけでもしかしたら、このまま近視でもそれを愛して生きて行こうという勇気が持てたかもしれないとも思った。

だってそれまで誰も、目が悪くてイイなんて言わなかったし、近視=不便という認識しかなかったから。これは本当にびっくりした出来事だった。


でもレーシック(もとい私はPRK)してしまってる自分。
それがかなり否定的に書かれている現実。なんかコンタクトもばっちり否定されてたので、そういうのを平気で選択できるやつの神経の鈍さというか、とにかく鈍感でアホ者と言われているような印象を受けて(そういう人が大半らしいけど)、なんか、そんなつもりじゃなかった分ほんと悲しかった。

要するに、クッキリハッキリ見えるだけじゃ、意味無くて、日頃どのあたりを見ることが多い生活(仕事)かというのが大事っぽかった。デスクワークの人に1.5とかまじ要らんでしょとかいう話。負担が大きいらしい。理屈も確かによく分かります。

そして案の定自分はデスクワークだったわけなので、orzなわけですが、これはもうあれ、自分のライフスタイル(仕事)を変えていこうという結論に達して自分なりには落ち着きました。脱デスクワークです!!具体的にはきっと運転手とかの仕事が1番いいんじゃないかと思いますね!

まぁ流石に、そんなにすぐその理由だけで転職は出来んので、今後じわじわPCワークを人生から遠ざける作戦でいこうということにしました。これ自体は、目には良くても悪いことはない選択のはず。あくまでも、批判されてもアホ者扱いされても、前向きに考えるしかありませぬ。


そしていつか老眼で困る日が来たら、眼鏡のとよふくに是非行ってみようと、心に誓う自分なのでした。






レーシックを考えて悩んでいる人は、眼鏡屋さんについて色々調べてみるのも良いかもしれません。ここに書いた眼鏡のとよふくさん以外にも、こういったこだわりの眼鏡屋さんは全国に色々ありそうですが、私は、なんかここまで眼鏡の世界が細かく分かれているなんて想像もしていなかったので知った時は本当にびっくりしました。

こういったところで眼鏡を作った人が全て万々歳で自分の思い通りの生活を手に入れているかどうかは分からないし、私は100%の人がそうなるとは思っておりません。でもまぁひとつの選択肢として知っているか知らないとでは、その後の人生も大きく変わってくるので、私はそれをレーシック(PRK)をした人間の立場から伝えておきたいと思いました。


今回のこの眼鏡のとよふくさんを知る機会があってから、夜になると感じていた、コンタクトを一日付けていたかのような目の違和感が、ずっとドライアイの症状かと思っていたけど多分、矯正視力でPCなどを一日見続けることによる眼精疲労なのだろうということに思い至りました。でももう外すコンタクトは無いのであります。(負担はでかいのかもしれません。あの否定的な言葉を思い出すとかなりゾッとする。)

自分がPRK手術をしたことについては、色々と人生の幅や可能性が手放しで広がっていると感じるのも事実で、それを、それでも間違った選択だったと自分で否定して後悔してしまったら人生が辛過ぎることだけは分かります。。



今回、自分の選択がある価値観によってここまでケチョンケチョンに否定されていたのは悲しかったし、ましてやそれが取り消せない選択だったからこそやはりそれは完全に落ち込みました。事実目の疲労という思い至りもあったので余計にちょっとこれはキました。


それから色々なことを考えています。
くっきりはっきり遠くを見えるということには中毒性がある、というような言葉も目にしました。自分は、脳みそは、くっきりはっきりが好きなのです。コンタクトを手放せなくなるのもそれによるものだとか。でもそれを、くっきりはっきり見える喜びや快感のようなものを、悪いもののように否定しなくてはいけないのか、というのはまだ自分にはよく分かりません。

私は夜の月が子供の頃見た様にはっきり見える視力をずっと持っていたいと以前から願っていました。これは月を見る仕事を自分がしていれば問題ないということにもつながるので、ちゃんと自分の理想のイメージと現実を近づけていかないといけないなと思えたのは良かったなと思っています。

夜間も景色がよく見えるので月のクレーターがこれまでよりもすごく見えて、そこから別の景色が広がって行く様な美しい夢もこの前見ました。私は見える喜びを夢に見る程度には感動をしておるのです。





本来だったら、自分に都合の悪い意見は無視してしまえばいいのだけど、自分は出来れば向き合いたいと思って、今回の落ち込みについても正面から受け止めようと思いました。


レーシックを開発し、治療を行う眼科医も、眼鏡のとよふくさんのような眼鏡屋さんも、自分はどっちが正しいとか言うつもりはないです。だからこそ自分の選択が否定されたのは悲しかったし、私はこれからそうやって無防備なところで否定されるような人が増えたら悲しいなとも思った次第です。

レーシックを検討する人が、レーシック以外のたくさんのことについても広く検討して、本当の納得の上で自分なりの選択をしてもらえれば良いのではないかと思っております。